2007年04月03日

スイカで気づいたこと

最近,恒石昌志が気づいたことがあります。

事の発端は,最近電車と私鉄とバスが一枚のスイカ,もしくは

パスモで乗れるようになったこと。

住んでいるところ(東京郊外)から,都心に行くには,

私鉄からJRに乗り換えの扱いになっていたので,今まで

スイカは使えなかったのですが,最近になって一本化され

便利になりました。とにかく毎日,切符を買う時間が短縮

されたのがすごくうれしい!

さらにスイカをチャージすると「領収書」を機械で発行して

もらえるので,うちの経費として落としやすくなるんです。

で,便利になって気づいたこと。それは,

交通費ってこんなにかかってたの!!

ってこと。毎日切符を買っていたときには気づきません

でしたが,お金をチャージする時は,できるだけ時間を

短縮したいので一回に万単位をチャージするのですが,

それが改札でピッ!と通るたびに目減りしていくのが

わかるんです。経費で落ちるからいいでしょと突っ込まれる

でしょうが,それでも交通費は馬鹿にならん!です。

アメリカ人でロバート・アレンさんという不動産投資で

億万長者になった人がいまして,彼が,一度自分が買うもの

全てのレシートをとっておいて家計簿をつけなさい,

といっていました。そうすると自分がどこにお金を使っている

かわかるからで,お金持ちになるには家計の自己分析からだと

いうことだということでしょうか。恒石昌志も二十歳ぐらいの

時はこれをやっていました。で,発見したことは,意外になにげ

なく借りてるDVDのレンタル代が結構高いというということ,

エンゲル係数がやばいということ(笑)まあ今でもエンゲル係数

の高さは我が家の自慢です(単なる食べすぎ)。

まあサービスとかレンタルとか交通費もそうですが形に残らない

のは,意識しないとどれだけお金を使っているか気づきにくいん

ですよね。で,それが結構大きいお金だったりします。こういう

ものはなかなか数字で見ないと気づきません。会社の場合でも,

結構いろいろあって,そんなに使わない資料を置いておく為に

倉庫を借りてるけど,これはこんなに掛かってたのか!この分を

こっちに回せば…,など改善の一歩は自己分析から始まります。

お金持ちになりたいと思えば現在の自分の位置を知る,つまり

自己分析ですね。これとても大事です。ひと月に自分が何に

いくら使っているか家計簿をつけるだけでも,お金持ちになる

為のいい勉強になります。ではまた。
posted by 恒石昌志 at 19:26| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月17日

伝わらない原因は自分にある

ついこの間の事,恒石昌志は渋谷駅で電車を降りました。

正直言うと日本の田舎で生まれ,オーストラリアでのびのび

と!?育った恒石昌志は渋谷とか新宿など人が多いところは苦手

です。仕事以外ではまず行きません。あんた都会に住むべきじゃ

ないねと東京の友達に言われます。さてこの日は東京に来て2回目

の渋谷。新宿駅でも渋谷でもまず困るのが,出口が多すぎてわか

らないということ。待ち合わせで何々口って指定され,いつもの

出口じゃないと即迷います(笑)

今日は,渋谷のホテルで打ち合わせ。有名なホテルではありませ

ん。ホテルの地図を見ると渋谷区の区役所がありました。

改札を出て駅員に

「渋谷の区役所の方向に行きたいのですが」

というと

「区役所もう閉まってますよ」

と駅員さん。時間は夜の8時ごろでした。

「いや,区役所じゃなくて」

と説明して駅を出て,その方向に歩き始めました。歩きながら

いろいろ考えました。

(恒石昌志の頭の中)

…気をきかせて言ってくれたのかな?

…そりゃー夜の8時だから閉まってるよ!田舎ものの
 俺でもそれぐらいわかる!


・・・・区役所の“方向”って言ったじゃん!

と最初は思いました。でもコミュニケーションが取れていない

場合,(ミスコミュニケーションとかディスコミュニケーション

とか言いますね)大体,あいつは話が分からんやつだとか相手を

責めがちですが,そんな時こそ,自分を磨くチャンスなのです。

確かに話の通じにくい人はいます。ですが,そんな話の通じにく

い人にいかに言いたいことを伝えるかを考えると,普通の人とは

もっと話がしやすくなります。恒石昌志は考えました。

「区役所の方向に用事があるんですけど」

だと,伝わりやすいかな?いっそのこと

「区役所の近くのホテルに行きたいのですが,どの出口から行け ばいいですか」

だと誰でも一回で通じるんじゃないか?と考えました。

そうすると,ああやっぱり向こうにはわかりにくい言い方で聞い

てしまったと悟りました。なんでもそうですが,問題が起こった

とき,成功する人はそれ(問題とか障害)に対してアクティブに

反応します。とりあえず,自分のせいでなくても問題は自分の内

にあると考え,行動します。成功しない人はいつもワンパター

ン。相手が悪いというのです。この相手は会社,上司,部下,

恋人,親,場合によって変わります。でも自分は全く悪くなくて

相手のせいでそうなったという解釈をします。この言い方だとキ

ツいので少しフォローすると,確かに相手が一方的に悪い場合も

あります。でもこの際誰が悪いとかは関係ないのです。

自分の成長のためと考えると,相手が一方的に悪い状況にも

アクティブに反応するほうがいいのです。部下が指示を聞かず,

頼んだことと別のことをして後始末に終われる,ああ俺は部下

に恵まれないなぁなんて。それは,自分の指示の仕方を見直しま

しょう。人にものを聞いても,いや聞きたいのはそうじゃなくて

となる事が多いことありませんか。質問の仕方を考えましょう。

具体的かつ明確に。それは先日の話↓と同じですね。

http://www.masashiblog.com/article/36466703.html

結局,自分にする質問も自分自身とのコミュニケーションの

ひとつです。面白い話があって,日本人が英語を喋って通じない

と,ほぼ100パーセントみなさん自分のせいだぁなんて落ち込みま

すね。恒石昌志はたまにですけど,それって正しい英語で言った

のに,向こうがアホだったかもしれないしわからないでしょと

なぐさめます。実際にそういうこともあるのんです。みなさん

が,英語を喋るような謙虚な?気持ちで日本語のコミュニケーシ

ョンを見直すと日常生活に驚くような変化があります。

ではまた。
posted by 恒石昌志 at 22:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月19日

タンポポに学んだ一日

今日は最寄り駅の線路で珍しいものを発見しました。

線路の石を敷き詰めているところに,タンポポが一輪

咲いていました。

DSC00389.jpg

辺りを見回すと花はおろか,草木一本生えていません。

その中で一輪だけタンポポが咲いている

のです。

^||.jpg

人間界(?)での話。本人の意図しない

明らかに不当な環境に追いやられ,そこでのびる

人とのびない人がいます。伸びない人は,ありえない

環境に追いやられた時点であきらめてしまうのです。

でも成功する人はこれは自分自身に与えられた

テストだと思い,どんな環境にいても

いずれよくなると考えます。古今東西には

いろいろな名言があって,英語では

"When the student is ready, the teacher appears"

「生徒の準備ができた時,先生が現れる」と言います。

これは,なにも学校のことを言っているではないのです。

本人に準備ができているから試練は訪れるのです。逆に

「人生で解決できない問題は起きない」のです。成功している

社長さんに会うと,この言葉を信じたからやってこれた,という

人が何人もいました。どんな状況でも環境でも輝く人はいます。

そういう人は、このタンポポのようにいやでも目立つのです。

そうなれば理解者や協力者があらわれ、人生は好転し始めます。

世の中で成功者といわれる人は、大体この時期を乗り越えていま

す。ですが、有名になった人はそういうところをあまり見せませ

んし。世の中の人は世に出た人、つまり成功して有名になった

人のアウトプットしか見ない傾向があります。例えば、年が

同年代なのにCDを出して、売れている歌手を見て、好きな歌が

歌えてお金がもらえていいなと言う人がいますけど、その歌手

が好きな歌をCDにして出すまでは、必ず下積みの時代があった

はずです。本を出すにしてもそうで、今日出そうと思って

明日はいできましたというわけにはいきません。恒石昌志

の言いたかったことは、“成功”というものをデジタル的

つまり1か0かでとらえていないかということ。

“している”か“していないか”

でも本当は成功にはプロセスがあって1の次には2があるし

10の前には9があります。そしてそのプロセスで上に上がる人

はこのタンポポのようなものです。どんな環境でも見事に

咲いてみせる。で、次に行く。

今日は最寄り駅のタンポポに深く考えさせられた

一日でした。ではまた。
posted by 恒石昌志 at 22:19| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月23日

本当に欲しいものはなに?

ある社長さんの話です。子供の頃から起業家を志し,実際に20代

で会社を起こした人がいます。彼の目標は現金で一億円所有

することでした。彼はこの目標を叶えるために自己啓発を

猛勉強し,30代で,会社も軌道に乗り,バリバリ働きました。

現金もどんどん増えていき,貯金も8000万を超えました。

ですが,そんなある日,彼の奥さんの父親が亡くなり遺産相続

で,2000万円を手にします。実際には奥さんの方ですが,

彼と奥さんの口座の残高は一億円を超えました。ちなみに彼も

彼の奥さんでさえ父にそんなに遺産があるとは知りませんでし

た。そこで彼はがっくりきたのです。自力で自分のビジネスで一億

円を稼ぎたかったのに・・・と。ですが,彼はそこで気づきが得られ

たそうです。そうか!目標が達成されたんだからこれでいいんだ。

自分は目標を達成するにはビジネスで儲けるしかないと決め

付けていた。でも最終目標を達成するにはいくつも道がある。

あーそうだったのか!と。その社長さんが教えて

くれた事,それは普通の人が目標設定をする時は,

Aが手に入ればBが手に入る

のAにフォーカスしてしまい方法論にばかりこだわってしまう


ということ。例えば,また一億円を例にすると,一億円欲しい

という人にその一億円で何をしたいかと聞くと,欲しい家が

一億円すると言ったとします。では,その人の本当の目標は

一億円を手にすることか,その家を手にすることか,

どっちでしょう?答えは家ですね。要は本当にその人の

欲しいものがその家なら,家さえ手に入れば一億円は必要ない

のです。もうひとつ例を挙げます。

あと5キロ痩せたいという女の子がいます。で,痩せてどうしたい

かというと,素敵な恋人と付き合いたいと言います。では,素敵

な恋人ができれば,5キロは痩せないでもいいのか?まあイエス

です。ここら辺は,それでも自分の満足のために痩せたいとか

痩せた方が健康にいいという理由がありますので絶対的には

イエスではありませんが,まあ痩せなくてもいいはずです。

かなりダメな例ですが,起業家予備軍の人と話をすると

「目標は社長になることです」

という人がいます。その目標変えた方がいいですよと恒石昌志

はいつも言います。

「目標は自分の会社を興すことです」

も同様にダメです。ここまで書くともう分かりますね。

なぜなら今の時代,最低資本金制度も撤廃され,自分の

会社を興し社長になることは手続き上20万ほどあれば誰でも

できます。で,それだけやって言葉としては目標達成です。

でも会社だけ作って肝心の事業がなければどうします?社長に

なるという目標達成で収入はなくなり生活に貧窮してはダメ

ですよね。今日言いたかったことは,直感的に欲しいものは

しばしば言葉にするとズレがでてきてしまう,ということ。

今欲しいもの,手に入れたいものをリストアップして,それが

本当に欲しいのか?自分が欲しいのはそれを手に入れたら,

副次的に手に入るものではないのか考えてみる事です。

で,本当に欲しいものに気づいたら,それを手に入れるための

方法論は無限大にあり,ひとつの方法にこだわらないことが大事

と知ることです。ではまた。
posted by 恒石昌志 at 19:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月25日

眉毛

今日は最初は成長することの話です。何かを始めることは,

古今東西歩くことに例えられました。千里の道も一歩から,

というのは有名ですね。恒石昌志も,歩くということを

例えに使います。一番最初に何かを始めると最初の一歩が

一番大変です。飛行機が離陸するとき一番エネルギー必要

とするように、0から1が一番大変です。一回空に離陸して

しまうと,飛ぶのにはそれほどエネルギーを必要としない

のです。1から2は少し大変で、2から3,3から4となると

少し楽になります。更に,500歩目ぐらいになれば難し

さを感じていた事を思い出せないかもしれません。

ある空手家が言いました。

「奥義とは眉毛のようなものだ。ないとおかしいが
あっても自分では意識しない」

昔は難しくて,こんなのできないと思っていた事が,

自分の眉毛のように感じられたら,つまり意識しなくても

できるようになれば自分の人生はどんなに今現在と変わって

いるでしょうか?恒石昌志にとってはその1つは英語です。

日本生まれの日本育ちでしかも田舎の生まれ。学校でも

嫌いな科目の1つでした。でもある日やろうと決めたから

今があります。いまでは“眉毛のよう”で,日常、洋書の

経営書や,英語の映画を見ている今では英語なしの人生は

考えられません。そもそもオーストラリアに行ったことや

本を出したことも英語を勉強し始めた日があったからで,

そう考えると人生とはいかに自分が選んでできているものか

と実感するのです。でも習い事やジムに通い始め挫折する人

が多いのも事実です。少し脱線してビジネスの裏話をすると,

フィットネスクラブなどのビジネスはある程度,会費だけ払って

来ない人がいることを前提にし,そうでないと成り立たなくなる

のです。まあ現実的にフィットネスクラブとかで会員が増え続け

れば,ダンベル一個に20人の行列とか(笑)困りますね。つまり

一生(もしくはかなり長い間)固定客として施設を利用する会員

は何割かで,残りの会費だけ払い数ヶ月でやめていく会員が常に

回転しているようなものです。最近,フィットネスクラブに入

ると半強制的にクレジットカードを持たされることが多いのです

が,それは来なくなった時にもちゃんと会費を回収できるように

というウラがあります。で,習い事を続けることが難しいという

ことに,話を戻すと,眉毛の話から考えると,1つだけすごく大事

な教訓があります。それは眉毛の域に到達しているものは,もう

人生の一部,自分の一部になっているのでその習い事をやめよう

なんて夢にも思わないということです。でも歩き始めた

ばかりではそうもいかないでしょう。そこで,おススメは

その習い事をしている毎日の生活があたかも当たり前のように

想像するのです。あたかも,その習い事をしていることが

眉毛になっているかのように。それから予定を入れます。

よく方法論や先生,学校などを吟味しているうちに何ヶ月も

経ち結局,なにもできない人がいますが,とにかく始めること

です。英語の諺で

「自分が正しい道にいても,そこにボーっと座っていれば
 轢かれてしまう」

というものがありますが,正しい方向性を知っていても,

その方向には自力で進まなければいけません。最初は辛くても

そのうち眉毛のようになる日が来ます。それを知った上で

歩き始めることが大事です。

ではまた。
posted by 恒石昌志 at 00:43| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月26日

メガマックの謎

最近ですね、真面目な話が続いたので、今日は食べ物の話(笑)

どうもですね、このブログは真面目系のお話と恒石昌志の

どじな日常+食べ歩きの話の二つを期待している派閥に

別れるようでどちらかに傾くとどちらかに叱られます(笑)

最近、気になってるのがメガマックなんです。そもそも

MEGA_MAC_Set-1[1].jpg

昔はハンバーガーが一食のめしという感覚は

絶対許せん!

だったのがオーストラリアに住んで、

まあいいんでない。

に変わりました。同級生に久しぶりにそれを言うと

うちらの出世頭が、ハンバーガーで一食とは

泣けてくるとダメ出しされましたが、たまに

食べたくなるんですよね。で、メガマックなんですが

予想外の人気で食べれなかった人からクレームがきた

とか。マクドナルドも再販日を決めて、また限定販売

するそうです。いつも思うんですけど、というか

たぶん多くの人が同じ疑問を抱えていると思いますが、

マクドナルドは

ビックマック作れる材料があるのになんでメガマック

だせないんですかねぇ?


逆に食べれなかった人は、ビックマック2つ頼んで自分で

合わせて食べればいいのに…。恒石昌志は思うんですが、

これと同じツッコミを入れたい人は絶対いるはず。

まあ材料が確保できないというのはわかりますが、

そういわれても具体的に理解できない、だって

ビックマック常駐メニュだもん。そこで、今日ある記事を

読んでわかったこと。それはですね、ビックマック

はバンズ3枚に対して2枚の肉なのに比べてメガマックは

肉の量が2倍(2枚が4枚)なのでという製造材料がアンバランス

な為、こういう問題が起こったそうです。これで少し納得。

でも怖い話が、普段ビックマックを2つ食べていない人でも

メガマックは食べちゃうし、メガマックの販売が終了すれば

忘れられずビックマックを二つ買って合わせて食べる日々

が来る?!(←自分が一番心配な恒石昌志でした)
posted by 恒石昌志 at 22:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 食べ歩き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月29日

木と森

大昔の話です。

お坊さんが諸国行脚の途中,石を切っている

2人の石工を見つけました。お坊さんは好奇心を旺盛

だったので何をしているか彼らに聞きました。

一人目の石工
「石を切っています」

二人目の石工
「寺院を作る為の石を切っています」


お坊さんは,同じ石工でもこんなに言うことが違うものか

と思い,その場を去ります。一年後諸国を見て周り

帰り道に同じところを通りました。見ると,りっぱな寺院

が完成間近でした。そこで,お坊さんは一年前に会った石工

達はどうしているかと思い,工事現場に立ち寄ります。すると

「石を切っている」といった石工は相変わらず石を切って

いました。お坊さんは挨拶だけして,他の石工の顔を見ます。

ですが,あの「寺を作っている」といった石工が見当たりませ

ん。その男の容姿を他の石工に伝えると,「ああ,そりゃあ親方

だ」と言われました。そこにちょうど“親方”が帰ってきまし

た。親方も一年前は普通の石工でした。ですが,前の親方に認め

られ出世したのです。この親方は,石工としての技能はまあ普通

の人より少し上だったろうと,自分より技能のある石工はいくら

でもいると言いました。違うのは観点です。日本語の

「木を見て森を見ず」

というのはまさに完璧な例えです。

この話を書こうと思っていると偶然にも全く同じ例を

テレビで見ました。ですが,これは

悪い例です。医療ドラマで手術シーンがでてきました。

で,手術後に医者が

「手術は成功したが患者は死んだ」

というのです。

これは悪い例ですね。技術的に求められたことをこなすには

成功したかもしれないが,患者が亡くなっては意味がありませ

ん。会社,ビジネスも同じで会社が自営業の域を出ない小規模だ

と,全体という単位がものすごくクリアーなので木を見て森を見

ていないという事態はあまりありません。ですがこれが中小企業

で“××部”なんていう区分が出てきます。

大企業になると“××部××課”な

んて出てきますね。こういう形態になった場合,管理職が1つ上

の単位でものを見ている,つまり××課の課長ならその上の××

部としての観点ですね,を持ってないと必ず周りとの軋轢やその

グループ内で問題が出てきます。例えば自分の部署の数字は

上がったけど,その後工程の部署の負荷が大きくなったなど。

組織というのは人間の体のようなものです。肝臓だけよくなって

腎臓は悪くなったとかではダメですね。うちは零細企業だとか小

さいベンチャーだとか,そういう方もいると思います。ですが,

この観点を1つ上に置くという話はなんにでも使えるのです。

例えば,自分から家族という単位,1人の接客係から店という単

位で考えてみるとかいろいろでてきます。でも、同じ時給で働く

からそんなことまでしたくないという人もいるはず、おそらく

ほとんどの人はそうでしょう。でも逆の立場で言うと

経営者や現場責任者は同じ時給で会社のことや店のことまで

考えてくれる従業員をどう思うでしょう?悪く思うわけが

ありませんよね。そうなれば結局得するのは自分なのです。

余分に一歩歩くと必ずそれには見返りが与えられます、

たとえそれが直接的なことでなくても。

今日は、観点を個から組織に、

木から森にシフトしてみようという話でした。

物事に行き詰ったとき自分が見ているのが、木か森か考えて

みましょう。ではまた。
posted by 恒石昌志 at 00:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月30日

命の尊さ

今日はアメリカで起きたバージニア工科大学での銃乱射事件

について書きたいと思います。

グーグルで“バージニア工科大学”

で検索すると1ページ目に事件の記事が出てきます。

これは本当に社会的な衝撃が大きかったという事に

他なりません。

アメリカが銃社会で日本とは違うにしろ,こういう事件

がおきるとマスコミは

「ああ,世の中物騒な時代だ」という論調になりがちです。

日本でも,犯罪者が未成年だったり,通り魔や猟奇的な

事件がおきると「最近は物騒で外も歩けない」なんていう人

がいます。そんな中バージニア工科大学での銃乱射事件で

犠牲になったリビウ・リブレスク教授という方の話を

したいと思います。リブレスク教授はルーマニア生まれの

イスラエル人で航空力学分野での世界的権威でした。

1930年ルーマニアのでユダヤ人の両親の間に生まれ,

第二次世界大戦中にはホロコーストの標的とされ、

ゲットーに送られたましたが、奇跡的に生き延びました。

その後工科大学を卒業し、博士号を取得し,イスラエル

に移住。1985年からはバージニア工科大学の教授に

就任し、多くの業績を残しました。事件の発生直後,

銃声を聞いた彼は行っていた講義をすぐに中止し、

学生達に窓から逃げろと言った後、銃撃を受けながらも

ドアを押えて犯人の侵入を防ぎ,その間に学生達は窓から

飛び降り避難しました。リブレスク教授自分の命を犠牲に

して沢山の学生の命を救ったのです。教授はドアを

押さえながら5回の銃撃を受け絶命しました。

ホロコーストを生き延び,命の大切さを誰よりも理解

していた教授だから,ここまで覚悟を持って犯人に

対峙できたのではないかと思います。教授の生徒は

彼を忘れないでしょう。一生尊敬し,彼によって救われた

命を大切にすると思います。確かに,この事件は大変な

ショックを世の中に与えました。こんな事件が

もう起こらないように社会的にどうするかという

議論は大いにすべきだと思います。今日伝えたいことは,

信仰の話です。宗教的な話ではありません。

どちらかというと人が普段持っている考え方のような

ものです。それは,日頃,見聞きすることで強化されます。

例え話をしましょう。“考え方”は脚のないテーブルの

ようなものです。不安定な確証のない“考え方”というもの

があり,日頃いろいろ見聞きすることで“脚という事例”がで

き,それが確証され“信仰”になります。例えば,お金持ちは

みんな嫌なやつだとか,美人はみんな冷たいとか,ポジティブ

な例でいうと,人はみんな良い人だ,努力すれば必ず報われる

などです。今回の話だと,“世の中物騒だな”と信じると,

それを裏付ける例を脳は探してきます。その結果,その考え方

は確証され、その人の“信仰”になります。

同様に,

世の中にはすばらしい人もいるということを信じる

と脳は同じように,そういう事例を集めてきて

そういう“信仰”を持ったあなたをつくります。

“人は自分の見たいものしか見ない”と

ローマのカエサルは言いましたが,“信仰”が形成されると

その“信仰”というフィルターを通して出来事を見るので

ある出来事の解釈は人によって微妙に変わってきます。

恒石昌志の伝えたい事は,これほど悲しい事件が起こっても

前向きな考え方を持って生きていこうということです。

事件に蓋をして,無理やりポジティブ思考しようというの

ではありません。起こった事件には向き合って,それでも

希望を持って生きていくのが私達のできる事だと思います。
posted by 恒石昌志 at 13:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする