大昔の話です。
お坊さんが諸国行脚の途中,石を切っている
2人の石工を見つけました。お坊さんは好奇心を旺盛
だったので何をしているか彼らに聞きました。
一人目の石工
「石を切っています」
二人目の石工
「寺院を作る為の石を切っています」
お坊さんは,同じ石工でもこんなに言うことが違うものか
と思い,その場を去ります。一年後諸国を見て周り
帰り道に同じところを通りました。見ると,りっぱな寺院
が完成間近でした。そこで,お坊さんは一年前に会った石工
達はどうしているかと思い,工事現場に立ち寄ります。すると
「石を切っている」といった石工は相変わらず石を切って
いました。お坊さんは挨拶だけして,他の石工の顔を見ます。
ですが,あの「寺を作っている」といった石工が見当たりませ
ん。その男の容姿を他の石工に伝えると,「ああ,そりゃあ親方
だ」と言われました。そこにちょうど“親方”が帰ってきまし
た。親方も一年前は普通の石工でした。ですが,前の親方に認め
られ出世したのです。この親方は,石工としての技能はまあ普通
の人より少し上だったろうと,自分より技能のある石工はいくら
でもいると言いました。違うのは観点です。日本語の
「木を見て森を見ず」
というのはまさに完璧な例えです。
この話を書こうと思っていると偶然にも全く同じ例を
テレビで見ました。ですが,これは
悪い例です。医療ドラマで手術シーンがでてきました。
で,手術後に医者が
「手術は成功したが患者は死んだ」
というのです。
これは悪い例ですね。技術的に求められたことをこなすには
成功したかもしれないが,患者が亡くなっては意味がありませ
ん。会社,ビジネスも同じで会社が自営業の域を出ない小規模だ
と,全体という単位がものすごくクリアーなので木を見て森を見
ていないという事態はあまりありません。ですがこれが中小企業
で“××部”なんていう区分が出てきます。
大企業になると“××部××課”な
んて出てきますね。こういう形態になった場合,管理職が1つ上
の単位でものを見ている,つまり××課の課長ならその上の××
部としての観点ですね,を持ってないと必ず周りとの軋轢やその
グループ内で問題が出てきます。例えば自分の部署の数字は
上がったけど,その後工程の部署の負荷が大きくなったなど。
組織というのは人間の体のようなものです。肝臓だけよくなって
腎臓は悪くなったとかではダメですね。うちは零細企業だとか小
さいベンチャーだとか,そういう方もいると思います。ですが,
この観点を1つ上に置くという話はなんにでも使えるのです。
例えば,自分から家族という単位,1人の接客係から店という単
位で考えてみるとかいろいろでてきます。でも、同じ時給で働く
からそんなことまでしたくないという人もいるはず、おそらく
ほとんどの人はそうでしょう。でも逆の立場で言うと
経営者や現場責任者は同じ時給で会社のことや店のことまで
考えてくれる従業員をどう思うでしょう?悪く思うわけが
ありませんよね。そうなれば結局得するのは自分なのです。
余分に一歩歩くと必ずそれには見返りが与えられます、
たとえそれが直接的なことでなくても。
今日は、観点を個から組織に、
木から森にシフトしてみようという話でした。
物事に行き詰ったとき自分が見ているのが、木か森か考えて
みましょう。ではまた。
2007年04月29日
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